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ティブロンの独り言

待望のJRTを向かえ子育て悪戦苦闘中!日々の生活で気づいた事をぼちぼちと。 国際結婚中ですが、愛のある別居中(笑)                                わんこ大好き!お料理大好き!アメリカ大好き!

昨日お世話になった病院は、乃木坂にあるんですが、いつもココの前を通って病院に向かいます。
治療のあと、シップ薬の臭いをぷんぷんさせ、ちょっと立ち寄ってみました。

                        旧乃木邸

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乃木将軍は言うまでもなく日清、日露の両役に武功輝きまた高風清節徳望高き人格者として
一世の崇敬を受けた。
陸軍大将従二位勲一等功一級伯爵に叙瀬やれ、晩年明治天皇の思召によって学習院長に
任ぜられ、専ら華胃子弟の育に蓋したが大正元年9月13日明治天皇御大葬の当日64歳を
一期として殉死し静子婦人も共に自刃した。
将軍の殉死せらるるや遺言して自邸を東京市に寄付せられた。

      250px-Count_Nogi_and_his_wife.jpg 大将と静子夫人

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左の写「乃木大将と辻占売り少年」の話は、明治24年、乃木希典が陸軍少将の時代、
用務で金沢を訪れた折のこと。希典は金沢で偶然、当時8歳の今越清三郎少年に出会う。
彼は辻占売りを営みながら一家の生計を支えていた。この姿に感銘を受けた希典は、
少年を励まし、禁弐円を手渡す。
少年は、この恩を忘れることなく努力を重ね、金箔業の世界で大きな実績を積み上げた。
この銅像は、こうした乃木希典の人となりを伝えるものとして、昭和43年に旧ニッカ池
(六本木6丁目)の縁に造立されたが、周辺四尾のため、希典所縁のこの地に移建された。

すんばらしい日差しの中、乃木神社まで、えっちらほっちら歩いて下りていきました。

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お参りさせて頂きました。 殆ど人がいなかったので、すこし自分の持ってる知識を集めて、
乃木大将に語りかけてみました。 
最後には、早くぎっくり腰を治るよう助けてちょーとお願いもしときました(笑)

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               2008_1028nogizaka0037.jpg 「福繭みくじ」なんざ頂いてきました。

短い滞在でしたが、心が洗われたようなすっきりした気分になりました。
腰は痛かったけど(笑)

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